こんにちは。Shikokuレールノート、運営者の「よんてつ」です。
普段、JRを利用していると「JR東日本」や「JR西日本」といったエリア分けは当たり前のものに感じますよね。でも、ふと「そもそもJRのエリア分けはなぜこんな形なんだろう?」と疑問に思ったことはありませんか。
特に、JR北海道がなぜ苦しい状況にあるのかというニュースを見たり、熱海駅のように県境でもない場所が境界線になっている理由を知ると、ますます謎は深まるばかりです。私も四国に住んでいると、本州三社との経営格差は肌で感じるところです。
この記事では、その「なぜ」の答えを探るため、JRが誕生した背景にある国鉄の歴史的な事情から、各社の経営格差が生まれる宿命、そして不思議な境界線の秘密まで、私なりの視点で分かりやすく紐解いていきたいと思います。
- JRがエリア分けされた根本的な理由
- 「本州三社」と「三島会社」の経営格差の宿命
- 熱海など、不思議な境界線が引かれた背景
- エリア分けが現代のJR経営に与えた影響
JRのエリア分けはなぜ?国鉄破綻の真相
まず、JRグループが誕生した最大の理由、それは前身である「国鉄(日本国有鉄道)」が実質的に経営破綻していたことに尽きます。この巨大組織をどう再生させるか、その答えが「分割民営化」でした。なぜそこに至ったのか、その背景を見ていきましょう。

国鉄が抱えた天文学的な借金
国鉄改革がまさに断行されようとしていた当時、国鉄が抱えていた長期債務(借金)は、もはや手の施しようがないレベルに達していました。
具体的には、1980年代半ばの時点で、すでに23兆円を超える巨額の債務を現実に抱えていたんです。当時の国家予算(一般会計)が50兆円前後でしたから、その半分近くに迫る規模です。これは「将来そうなるかもしれない」という予測ではなく、実際に背負ってしまっていた借金の額なんですね。
この「23兆円」というのは、まさに天文学的な数字です。一企業の問題で済む話ではなく、このまま放置すれば「日本経済そのものが傾く」という瀬戸際でした。とにかくこの異常な赤字の拡大を止血し、鉄道事業を「交通市場の中での激しい競争に耐え得る事業体」へと変革することが、待ったなしの急務だったのです。
機能不全だった国鉄の経営体制

では、なぜそんな借金が膨らんだのか。原因は国鉄の「経営形態」そのものにあったんです。
大きく分けて、3つの大きな問題があったと言われています。
硬直化した組織運営
国鉄は、トラック輸送の台頭といった輸送需要の変化に柔軟に対応できず、非効率な運営を続けていました。全国一元の巨大組織ゆえに、あまりにも小回りが利かなかったんですね。北海道から九州まで、地域のニーズに合わせた柔軟なダイヤ編成や車両開発が困難でした。
政治介入と運賃の歪み
国鉄の運賃は、本来の経営努力とは別のところで決められる側面がありました。例えば1981年(昭和56年)以降、政治的な決定によって、経営合理化が進まないまま「繰り返し大幅な値上げ」が行われていったという側面があります。国民の足であるインフラにもかかわらず、サービス改善が追いつかないまま運賃だけが上昇していく状況は、経営の自主性が失われていた「歪み」の象徴だったと言えるかもしれませんね。
劣悪な労使関係
そして、当時の国鉄内部では、経営陣と労働組合との関係が「極めて対立的」かつ「過度にイデオロギー的」だったと言われています。ストライキの頻発や職場規律の乱れが、サービス低下とコスト増大の要因となっていました。これでは、利用者本位のサービス改善など進むはずもありません。
「分割」は目的ではなかった
重要なのは、「分割」そのものが目的だったのではなく、破綻した国鉄を治療するための「手段」だったということです。巨大すぎる組織を解体する「外科手術」が、どうしても必要だったわけです。
責任が曖昧な「どんぶり勘定」
国鉄時代の最大の問題点が、「全国一元」という巨大すぎる組織でした。「全国どこでも同じサービスを」というと聞こえは良いですが、弊害も大きかったんです。
例えば、北海道や四国で出た大赤字を、東京の山手線や東海道新幹線が生み出す黒字で補填する、いわゆる「どんぶり勘定」が当たり前でした。これでは、個々の路線や地域の経営成績に対する「責任の所在が明確でなく」、北海道や四国で生じた赤字は、東京の山手線や東海道新幹線が生み出す黒字で補填されるのが当たり前でした。
こうなると、現場は「頑張ってもどうせ…」となってしまいます。経営の自主性がなく、どれだけ努力して赤字を減らしても評価や処遇に結びつかないため、「経営改革への意欲」そのものを失っていました。まさに「無責任」と「無気力」を生むシステムだったわけです。
当事者意識を生むための「分割」
「どんぶり勘定」が続くと、現場はどうなるか。どれだけ赤字を減らそうと努力しても、給料や評価に結びつかない。さらに、事業計画から人事、財政まで、すべて政府のお伺いを立てなければならず、「経営の自主性」もありませんでした。
「全国一元」のままでは、この「どんぶり勘定」と「無気力」の連鎖は断ち切れない。そう判断されたからこそ、組織をあえて小さく「分割」し、地域に密着させる必要があったんです。
「北海道の経営はJR北海道が」「四国の経営はJR四国が」責任を持つ。この強烈な当事者意識(アカウンタビリティ)を植え付けることこそが、分割の最大の狙いであり、再生への唯一の道だと考えられたんですね。
JRエリア分けの「なぜ」と現代への影響
国鉄を再生するために「分割」が必要だったことは分かりました。では、その「分け方」は正しかったのでしょうか。実は、現在のJR各社の経営状況、特に「格差」は、この分割の設計図に深く関係しています。

JRの格差は最初からの設計だった
1987年の分割民営化は、決して「よーいドン」で全社が平等にスタートしたわけではありませんでした。むしろ、最初から「格差」があることが前提の設計だったんです。
国鉄の収益の大部分は「新幹線」と「大都市圏輸送」に集中していました。この「ドル箱」をどう配分するかが、改革の最大の焦点でした。
- 本州三社(東日本・東海・西日本): 新幹線や大都市圏の通勤路線(ドル箱)を持つため、多くの運輸収入が見込まれ、「経営基盤が安定している」と判断されました。
- 三島会社(北海道・四国・九州): 当時は新幹線を持たず、不採算のローカル線を多く抱えているため、鉄道事業単体での収益確保が困難であり、「経営基盤が弱い」と判断されました。
この格差を前提に、国鉄が抱えた巨額の長期債務(その一部)は、支払い能力があると見込まれた「本州三社」と「JR貨物」が、その経営基盤に応じて継承することになりました。逆に、「三島会社」は、経営が立ち行かなくなることが明らかだったので、この国鉄の長期債務を一切継承させないという措置が取られました。
この「非対称なスタート」こそが、国鉄改革の最大のポイントです。6社を平等にすることではなく、むしろ本州三社やJR貨物といった「看板会社」を確実に成功させ、国鉄の巨額債務を(一部でも)返済させるために、北海道・四国・九州という不採算部門を隔離する必要があった。この設計思想が、現代まで続く格差の「宿命」となっているんです。
なぜJR北海道は苦しいのか
借金を免除されただけでは、三島会社は日々の赤字ですぐに潰れてしまいます。そこで用意されたのが「経営安定基金」という、いわば生命維持装置でした。
これは、国から渡された莫大な「元本」を運用して、その「利息(運用益)」で赤字を補填しなさい、という仕組みです。三島会社合計で1兆2781億円という莫大な額でした。元本の取り崩しは原則禁止なので、あくまで「利息」でやりくりするわけです。
しかし、なぜJR北海道が今も特に苦しいのか。それは、人口減少が激しく、広大なエリアにローカル線が点在するという、鉄道事業にとって最も厳しい条件が揃っているからです。安全対策への投資も巨額になりますし、当初の想定(高度経済成長期の利息)と違い、低金利時代が続いたことで基金の運用益(利息)が激減してしまったのも大きな誤算でした。
この基金の運用状況や、JR北海道の厳しい経営実態については、国の会計検査院も詳細な報告をしています。(出典:会計検査院『第4 北海道、四国、九州各旅客鉄道株式会社の経営状況等について』)
JR四国も他人事ではない
この問題は、JR北海道だけのものではありません。もちろん、私たち「Shikokuレールノート」が追っているJR四国も、三島会社の一員として同じ構造を抱えています。
国鉄改革の設計思想は「6社を平等にする」ことではなく、本州の優良事業を守るために、不採算部門(三島)を隔離する「防火壁」の役割を期待された側面が強いんです。この非対称なスタートこそが、現代まで続く格差の「宿命」と言えるかもしれません。
(当サイトでも、JR四国の列車情報や取り組みを引き続きお伝えしていければと思います。)
JRの境界線が県境と違う理由
さて、ここからは少し視点を変えて、多くの人が疑問に思う「境界線」の謎です。「なぜ県境でもないあんな場所で会社が変わるの?」と思ったこと、ありませんか?
その答えは、あの境界線が「国鉄時代の組織図」をほぼそのまま引き継いだものだからです。
国鉄時代には、全国を管理するために「鉄道管理局」という組織がありました。1987年の分割民営化は、20万人以上の職員の移管や膨大な資産の分割を伴う、前例のない大事業でした。もし県境などで「新しく」境界線を引こうとしたら、車両基地、指令所、乗務員の勤務体系(乗務員さんがどこまで運転してどこで交代するか、など)をすべてゼロから再編する必要があり、莫大なコストと時間がかかり、現場は大混乱に陥っていたでしょう。
そのため、既にあった「鉄道管理局」というオペレーション単位を、そのまま新しい会社に格上げするのが、最も現実的な選択だったんですね。私たちが目にする不思議な境界線は、利用者の利便性や地理的区分(県境)ではなく、国鉄内部の組織図と、改革時の管理上の都合を最優先した「歴史の産物」なのです。
なぜ熱海が境界になったのか
その代表例が「熱海駅」です。
具体例1:熱海駅(JR東日本とJR東海)
熱海駅は静岡県にありますが、JR東海ではなくJR東日本の駅(厳密にはJR東日本の管轄で、JR東海との共同使用駅)です。これはなぜか?
国鉄時代、東海道本線の東京〜熱海間は「東京南管理局」の管轄でした。そして、この「東京南管理局」のエリアが、そっくりそのまま「JR東日本」のエリアになったからです。
具体例2:御殿場線(JR東海)
逆に、神奈川県(国府津駅など)を走る御殿場線は、JR東日本ではなくJR東海の路線です。これも、同路線が「東京南管理局」ではなく「静岡鉄道管理局」の管轄だったためです。そして「静岡鉄道管理局」のエリアが「JR東海」の母体の一つとなったからなんですね。利用者の利便性や県境ではなく、あくまで国鉄内部の組織図が優先された「歴史の産物」というわけです。
博多駅に見る複雑な境界線

もう一つ面白いのが「博多駅」です。博多駅の駅ビル内には、床にJR九州とJR西日本の境界線が示されている場所があるそうです。
これは、山陽新幹線が東京起点で西に伸びていき、その終点が「博多」だったからです。山陽新幹線(新大阪〜博多)は国鉄時代から新幹線総局の管轄で、これがJR西日本の管轄となりました。一方で、博多駅の在来線(鹿児島本線など)は、九州全域を管轄する「九州総局」の流れを汲むJR九州の管轄となりました。
新幹線と在来線で会社が違うというのは、国鉄の分割を実感できるユニークな例ですよね。利用客からすると少々ややこしいですが、これもまた「組織図」を優先した結果なんです。
Suicaで稼ぐJR東日本の戦略
「エリア分け」は、現代のJR各社の経営戦略にも決定的な影響を与えました。
国鉄時代は、ホテル、物販、旅行業などの「関連事業」への進出は厳しく制限されていました。しかし民営化でそれが自由になり、各社は「自エリア内での収益最大化」をミッションとして走り出します。

「エリア分け」によって、各社は「自社のエリア内での収益最大化」という明確な経営責任を負いました。鉄道の運賃収入(運輸事業)だけでは、人口減少社会の中で成長は頭打ちになります。そこで彼らは、自社が持つ最大の資産、すなわち「駅」(一等地の不動産)と、「駅を利用する膨大な乗客」(顧客基盤)を最大限に活用した多角化を必然的に推進しました。
特にJR東日本は、Suicaを単なる乗車券から、巨大な電子マネー経済圏(金融・IT事業)に育て上げました。駅ビル(不動産事業)もそうですが、鉄道(運輸事業)だけで稼ぐのではなく、駅という「一等地」と、そこを通る「膨大な乗客(顧客基盤)」を最大限に活用する戦略です。
「鉄道会社」からの進化
これはJR西日本のICOCAや、JR九州のSUGOCA(スゴカ)も同じですね。JR西日本は、営業利益の約2割を不動産業で稼いでいます(2025年3月期予測)。
「エリア分け」によって経営の自立を迫られた結果、彼らは単なる「鉄道会社」から、駅を拠点にした「地域総合プラットフォーマー」へと進化する必要があったわけです。
(ちなみに、JR四国でも2025年春に香川県エリアの一部でICOCA(イコカ)のサービスが開始され、ようやくこの「プラットフォーマー」戦略のスタートラインに立ったところですね。)
総括:JRのエリア分けが「なぜ」かの答え
ここまで、「JR エリア分け なぜ」という疑問について、私なりに掘り下げてみました。
その答えをまとめると、以下のようになります。
JRエリア分け「なぜ」の答え
- (理由1)天文学的な借金で破綻した国鉄を再生させるため。
- (理由2)「どんぶり勘定」の巨大組織を解体し、現場に当事者意識(責任感)を持たせるため。
- (結果1)本州三社と三島会社という、スタートから格差のある「非対称な設計」が生まれた。
- (結果2)不思議な境界線は、県境ではなく「国鉄時代の組織図」を引き継いだため。
- (結果3)各社が「自エリア」での収益最大化を迫られ、Suicaや不動産など「脱・鉄道」のビジネスモデルへ進化した。
私たちが当たり前に見ている「エリア分け」には、国鉄という巨大組織の破綻と再生をめぐる、壮大なドラマが隠されていたんですね。そして、その時の決断が、今もなお各社の経営(特に三島会社)の「宿命」として、大きな影響を与え続けています。
もちろん、分割民営化によってサービスが劇的に向上したのも事実です。「のぞみ」の登場や、JR四国の個性的な特急列車が次々と生まれたのも、各社が「自エリア」で創意工夫を始めた結果です。
鉄道の歴史を知ると、いつもの風景がまた少し違って見えるかもしれませんね。

