2025年3月、長年にわたり徳島県南部への足として親しまれてきた牟岐線の特急「むろと」が、その歴史に幕を下ろしました。この牟岐線の特急が廃止というニュースに触れ、特急廃止はいつだったのか、そして牟岐線の特急が廃止された理由や牟岐線で特急が廃止された背景に関心をお持ちの方も多いのではないでしょうか。
また、特急廃止後の影響は利用者や地域にどう及ぶのか、特急廃止によって変わった牟岐線の様子や廃止されたことで利用者はどう変わったかについても気になるところです。今回の決定は、特急廃止後の牟岐線の運行体制や地域への影響、そして特急廃止後、牟岐線沿線の反応など、多くの側面から考える必要があります。この記事では、牟岐線のダイヤ改正という大きな転換点について、その詳細を深く掘り下げて解説していきます。
- 特急「むろと」が廃止された歴史的背景と具体的な理由
- 特急廃止後の新しいダイヤと運行体制
- 利用客や地域社会に与えた具体的な影響
- バスとの連携で変わる地方交通の未来像
牟岐線の特急が廃止に至った経緯と背景

- 特急廃止はいつだったのか?最終運行日
- 牟岐線で特急が廃止された背景とは
- 牟岐線の特急が廃止された理由3選
- 2025年に行われた牟岐線のダイヤ改正
- 特急廃止後の牟岐線の運行体制を解説
特急廃止はいつだったのか?最終運行日

牟岐線の特急「むろと」は、2025年3月15日のダイヤ改正をもって正式に廃止されました。
最終運行となったのはその前日、2025年3月14日の夜でした。徳島駅を19時33分に発車した下り「むろと1号」がラストランとなり、長年の活躍を惜しむ多くの鉄道ファンや地元住民が、その最後の雄姿を見送ったと伝えられています。
この廃止により、牟岐線から定期的に運行される優等列車、つまり特急や急行といった種別の列車が完全に姿を消すことになりました。これは、単に一つの列車がなくなったという事実以上に、地域の鉄道交通における一つの時代の終わりを象徴する出来事であったと言えます。
牟岐線で特急が廃止された背景とは

牟岐線で特急が廃止された背景には、60年以上にわたる歴史の変遷と、時代の変化への対応という大きな流れが存在します。
特急「むろと」のルーツは、1962年にまで遡ります。当時は準急列車として高松駅と牟岐駅を結び、将来的な室戸岬への延伸という夢をその名前に託されていました。その後、1966年には急行へ格上げされ、地域の期待を背負って走り続けました。
しかし、時代の変化と共にその役割は少しずつ変わっていきます。JR化後には一度「阿波」という名前に変更され、その後、高徳線を走る特急「うずしお」に統合される時期もありました。1999年に徳島駅での系統分離に伴い「むろと」の名が特急として復活しましたが、運行区間の短縮や減便が繰り返され、その存在意義は徐々に薄れていきました。
運行末期には、朝の上りと夜の下りの1往復のみとなり、主に通勤・通学客を対象とした列車となっていました。このように、広域輸送を担う花形の特急列車という本来の姿から、地域内輸送の補完的な役割へと変化していった歴史的背景が、今回の廃止という決断につながっていると考えられます。
牟岐線の特急が廃止された理由3選

特急「むろと」が廃止された理由は、単一のものではなく、複数の深刻な問題が複合的に絡み合った結果です。JR四国が公式に発表している情報やデータを基に、主な理由を3つの側面に分けて解説します。
利用者減少と人口動態
最も直接的な理由は、利用者の継続的な減少です。牟岐線沿線地域では、日本の多くの地方と同様に人口減少と高齢化が進行しており、それに伴うマイカーへの移行(モータリゼーション)が進んでいます。
その結果、特急列車の乗車率は低迷し、特に利用が少ない区間では、乗客がほとんどいない「空気輸送」と揶揄されるほどの状況も珍しくありませんでした。実際、2019年3月のダイヤ改正では、すでに対応策として1日3往復から1往復へと大幅な減便が実施されており、この時点で事業としての維持が極めて困難な状況にあったことがうかがえます。利用者の減少がサービスの縮小を招き、それがさらなる利用者離れを加速させるという、負のスパイラルに陥っていたのです。
JR四国の厳しい経営状況
次に、JR四国全体の極めて厳しい経営状況が挙げられます。同社の鉄道事業は、国鉄分割民営化以降、一度も単体で黒字になったことがありません。国の経営安定基金の運用益で赤字を補填することで会社全体の経営を成り立たせているのが実情です。
特に牟岐線の不採算性は深刻です。以下の表は、阿南駅から阿波海南駅間の収支を示したものです。
会計年度 | 営業収益(百万円) | 営業費(百万円) | 営業損益(百万円) | 営業係数(円) |
2019年度 | 112 | 940 | ▲828 | 843 |
2020年度 | 79 | 932 | ▲853 | 1,185 |
2021年度 | 80 | 878 | ▲797 | 1,096 |
2022年度 | 83 | 932 | ▲849 | 1,123 |
出典: JR四国公表資料
「営業係数」とは100円の収入を得るためにどれだけの費用がかかるかを示す指標で、2022年度には1,123円となっています。これは、極めて深刻な赤字状態を意味しており、コストのかかる特急列車の運行を維持することは、経営的に見て非常に困難な判断であったことが分かります。
構造的な乗務員不足
三つ目の理由として、JR四国は公式に「乗務員不足」を挙げています。これは、現代の日本社会が抱える労働力不足問題が、鉄道事業の根幹を揺るがしていることを示しています。
特急列車は、原則として運転士の他に車内での改札や乗客対応を行う車掌の乗務が必要です。一方で、普通列車では運転士のみで運行する「ワンマン運転」が進んでいます。限られた乗務員という人的資源を、利用者が少なく採算性の低い「むろと」に割り当てることは、会社全体の視点で見ると非効率的です。
これらのことから、「むろと」の廃止は、希少な乗務員をより利用者の多い路線やサービスに再配置するための、合理的な経営戦略の一環であったと解釈できます。
2025年に行われた牟岐線のダイヤ改正

特急「むろと」の廃止は、2025年3月15日に実施された牟岐線のダイヤ改正における最も象徴的な変更点ですが、この改正は単なる削減ではなく、サービス体系の戦略的な再構築という側面を持っています。
改正の最大の柱は、徳島駅と阿南駅の間における「パターンダイヤ」の導入時間帯拡大でした。パターンダイヤとは、毎時同じ時刻(例えば00分と30分)に列車が発車する運行形態のことで、利用者が時刻表を細かく覚えなくても利用しやすいという利点があります。
夜間に運行されていた特急「むろと1号」は、ほぼ同じ時間帯の普通列車に置き換えられました。これにより、徳島駅を毎時決まった時刻に出発するパターンダイヤが夜の時間帯まで延長され、速達性は失われるものの、分かりやすさや利用しやすさという点での利便性は向上したと言えます。
一方で、朝に運行されていた上り「むろと2号」に直接的な代替列車は設定されませんでしたが、既存の普通列車で通勤・通学需要はカバーできるという判断が下されました。要するに、JR四国は特急という「速さ」の価値を手放す代わりに、より多くの利用者が日常的に享受できる「頻度」と「予測可能性」という価値を選択したのです。
特急廃止後の牟岐線の運行体制を解説

特急「むろと」の廃止後、牟岐線の運行体制は大きく二つの戦略によって再構築されました。一つは前述のパターンダイヤによる利便性の向上、そしてもう一つが、全国的にも注目される徳島バスとの「共同経営」です。
この共同経営は、独占禁止法特例法の認可を受けた全国初の鉄道・バス事業者間の連携モデルです。具体的には、JR牟岐線の阿南駅から阿波海南駅間と、並行して走る徳島バスの高速バス路線(一般道区間)において、利用者はJRの乗車券類(普通乗車券や定期券、「青春18きっぷ」など)で徳島バスにも乗車できるようになったのです。
この仕組みがもたらすメリットは絶大です。特に列車の本数が少ない阿南駅以南の地域では、利用者の選択肢が大幅に増えました。例えば、次の列車まで1時間以上待たなければならないような場面でも、タイミングよく来たバスを同じ切符で利用できます。これにより、実質的な運行本数が増加したのと同じ効果が生まれ、待ち時間が大幅に短縮されました。
このように、特急廃止後の運行体制は、利用者の多い区間(徳島~阿南)は鉄道のパターンダイヤで利便性を確保し、少ない区間(阿南以南)はバスとの連携でネットワーク全体を強化するという、非常に戦略的なアプローチが取られています。
牟岐線の特急が廃止され生まれた変化と影響

- 特急廃止によって変わった牟岐線の様子
- 廃止されたことで利用者はどう変わったか
- 特急廃止後の影響とバスとの共同経営
- 交通網の再編がもたらした地域への影響
- 特急廃止後、牟岐線沿線の反応まとめ
- 牟岐線の特急が廃止という決断が示す未来
特急廃止によって変わった牟岐線の様子

特急「むろと」の廃止により、牟岐線の風景や性格は大きく変化しました。最も分かりやすい変化は、国鉄時代から活躍してきたキハ185系特急形気動車が定期列車として走らなくなったことです。これにより、牟岐線を走る列車は、基本的に普通列車用の車両に統一されました。
鉄道愛好家にとっては、レトロな魅力を持つ特急車両が見られなくなる寂しさがあるかもしれません。しかし、一般の利用者にとっては、運行される列車の種類がシンプルになり、より分かりやすくなったと捉えることもできます。
また、「日本一乗りにくい特急」と称されるほど特殊なダイヤの列車がなくなったことで、牟岐線の運行体系はより日常利用に即したものへとシフトしました。かつては観光輸送の期待も担っていた優等列車が消え、完全に地域住民の生活の足としての役割に特化した、より実直なローカル線へとその姿を変えたと言えるでしょう。
廃止されたことで利用者はどう変わったか

特急の廃止は、利用者にとってメリットとデメリットの両方をもたらしました。
最大のデメリットは、言うまでもなく「速達性」と「快適性」の喪失です。特に朝の通勤時間帯に「むろと」を利用して徳島市内へ向かっていた人にとっては、着席が保証され、少しでも速く到着できるという価値が失われました。特急料金を支払うことで得られたこれらのサービスがなくなった点は、一部の利用者にとって明らかなサービス低下と映る可能性があります。
一方で、多くの利用者、特に徳島・阿南間を利用する人々にとっては、パターンダイヤの拡大という形でメリットがもたらされました。夜の時間帯でも「30分待てば次の列車が来る」という分かりやすさは、日々の暮らしの中での安心感につながります。
以下の表は、徳島駅から牟岐駅へ向かう夜の時間帯の所要時間を比較したものです。
改正前 (~2025/3/14) | 改正後 (2025/3/15~) | |
列車 | 特急むろと1号 | 普通列車 |
時刻 | 19:33発 → 20:58着 | 19:30発 → 21:20頃着 |
所要時間 | 1時間25分 | 約1時間50分 |
このように、所要時間は約25分長くなりましたが、その代わりに予測可能性と利便性を手に入れたと評価できます。利用者は、絶対的な速さよりも日常的な使いやすさを重視するJR四国の戦略転換を、日々の利用の中で体感することになります。
特急廃止後の影響とバスとの共同経営

前述の通り、特急廃止後の最も大きな影響は、徳島バスとの共同経営計画が本格的に始動したことです。これは単なる乗り換え案内の強化や割引連携といったレベルではなく、鉄道とバスが実質的に一つのサービスとして機能する、画期的な取り組みです。
この連携は、JR四国が推進する「四国モデル」という、持続可能な地方交通ネットワーク構築計画の中核をなすものです。鉄道単体で全てのサービスを維持することが困難な現実を直視し、他の交通モードであるバスと手を取り合うことで、地域全体の交通の最適化を目指しています。
このモデルの成功は、全国の他の赤字ローカル線にとっても重要な試金石となります。もし牟岐線での取り組みが利用者に受け入れられ、地域の交通ネットワークとして定着すれば、他の地域でも同様の連携モデルが広がる可能性があります。逆に言えば、この取り組みは、鉄道がその存続をかけて、自らの役割を再定義しようとする挑戦の現れでもあるのです。
交通網の再編がもたらした地域への影響

特急の廃止とそれに伴う交通網の再編は、牟岐線沿線地域に複雑な影響を及ぼしています。
プラスの影響としては、阿南以南の地域における移動の利便性向上が挙げられます。鉄道とバスが一体的に利用できるようになったことで、高校への通学や病院への通院など、日常生活における移動の選択肢が増え、待ち時間が短縮される効果が期待されます。これは、人口減少が進む地域において、移動の自由を確保する上で非常に大きな意味を持ちます。
一方で、マイナスの影響、あるいは将来的な懸念も存在します。それは、今回のバスとの連携強化が、将来的な鉄道の廃止・バス転換(BRT化など)への布石ではないかという見方です。バスが鉄道の代替として十分に機能することが証明されれば、莫大な維持費がかかる鉄道インフラを放棄するという議論が現実味を帯びてくる可能性は否定できません。
地域にとっては、鉄道というインフラが持つ「存在そのものの価値」も無視できません。鉄道駅を中心としたまちづくりや、観光客誘致における鉄道の役割など、経済的な採算性だけでは測れない価値をどう守っていくか、という難しい課題に直面しているのです。
特急廃止後、牟岐線沿線の反応まとめ

特急廃止という大きな決断に対し、牟岐線沿線の自治体や住民からは、期待と不安の入り混じった様々な反応が見られます。
バスとの共同経営による利便性向上については、特に交通手段が限られる地域の住民から歓迎する声が上がっています。日中の列車が少ない時間帯でもバスが利用できることは、具体的なメリットとして実感されやすいでしょう。
しかし、その一方で、沿線自治体からは強い危機感が表明されています。例えば、美波町議会は、国に対して牟岐線の維持・存続に向けた財政支援の強化を求める意見書を可決しました。これは、採算性という経済的な指標だけで路線の存廃が議論されることへの強い懸念の現れです。
地域住民や自治体にとっては、鉄道は単なる移動手段ではなく、地域経済や文化を支える重要な社会基盤であるという認識が根強くあります。そのため、今回のJR四国の合理化策が、最終的に鉄道の廃止につながらないか、その動向を注意深く見守っているというのが実情でしょう。
牟岐線の特急が廃止という決断が示す未来
牟岐線の特急が廃止という決断は、一つの地方路線の出来事に留まらず、日本の公共交通が直面する課題と、これから進むべき方向性を示唆する重要なケーススタディです。この記事で解説してきたポイントを以下にまとめます。
- 特急「むろと」は2025年3月15日のダイヤ改正で正式に廃止された
- その歴史は前身の準急列車から数えると60年以上に及んだ
- 廃止の直接的な理由は利用者減少、JR四国の赤字経営、乗務員不足の三つ
- 特に阿南以南の区間は営業係数が1,000を超え、深刻な不採算状態だった
- 運行末期は朝夕1往復のみで「日本一乗りにくい特急」とも呼ばれた
- 特急料金に見合う速達性の優位性はほとんど失われていた
- 廃止の代替措置として徳島・阿南間でパターンダイヤが拡充された
- 利便性の定義が「速達性」から「頻度・予測可能性」へと転換した
- 全国初となる徳島バスとの法的な「共同経営」が開始された
- JRの乗車券で並行するバス路線にも乗車可能になった
- これにより阿南以南では実質的な運行本数が増加し利便性が向上した
- この連携はJR四国が推進する「四国モデル」の中核戦略である
- JR北海道の特急「大雪」の快速格下げとも共通する全国的な潮流の一環
- 地域からはバス連携が鉄道廃止への布石ではないかという懸念も存在する
- 沿線自治体は国に対し路線の維持・存続への支援を求めている
- 一企業の経営努力だけでは地方交通の維持は困難であり、公的関与が今後の鍵となる